CATEYELIFE キャットアイライフ

HOME > CATEYE LIFE > CATEYE LIFE詳細

2016/01/13

ツイートする

「柿沼 章さん」インタビュー 第一弾!

関連商品

-まずは自転車との出会いからお聞かせください。

柿沼:我々世代の自転車少年はだいたいそうじゃないかと思うんですけれど、最初は「自転車で遠くまで行くぞ!!」っていうチャレンジ精神です(笑)。
確か中学生だったと思うんですが‥栃木県って海がないんです。そこで友達と「自転車で海まで行ってみよう!」って話になって。120kmある茨木県の大洗の海まで行ったのが最初の思い出です。

-男の子の夏休みって感じで、とっても楽しそうですね!

柿沼:それがきっかけで、その後も日光やいろいろなところに出かけました。
自転車で遠くまで行くと、いろんなトラブルが起こるんです。転んだり、ケンカしてみたり、パンクしたり…(笑)。まるで映画の「スタンドバイミー」みたいな感じで。
そんな時、仲間の一人が「もっと本格的な自転車を買う!」と言い出して、彼に自転車専門店に連れて行かれて。その店で流れていたのが「ツール ド フランス」の映像だったんです。ちょうどNHKで放映がはじまったばかりでした。

-そこで初めて本格的な自転車レースと出会われたのですね?

柿沼:そうです。その頃、テレビで見られるプロスポーツといえば野球か相撲くらいでJリーグも無い時代。「ツール ド フランス」の映像はとっても衝撃的でした。
そして1990年に現在の「ジャパンカップサイクルロードレース」の前身となる「世界選手権」が宇都宮で行われて、スーパースター選手の生のレースを初めて目にして。そのカッコよさにも感化されて、ますます自転車にのめりこんでいきました。

-それから、どのようにしてプロになられたのですか?

柿沼:今のプロ野球やサッカー選手のような、プロになる道すじが無かったので、難しい道のりでした。考えた結果、その当時は企業が運営する実業団チームがありましたから、それしか方法はないな、と。「絶対にブリヂストンに入る!」と決めていました(笑)。
実は高校時代に医者の先生が運営するチームに入っていたのですが、その先生に様々なデータを取ってもらうことができたんです。だから面接で自分の医学データを沢山提出したり…。ブリヂストン側では「なんか面白そうなやつが来たぞ」と思われたみたいです(笑)

-プロとしての選手生活はどんな風でしたか?

柿沼:午前中は会社で仕事をし、午後はトレーニング、そして週末はレース…という生活で、年間20レースくらい出場していました。
そして年に何回か大きな国際レースがあるのですが、世界のチームに日本は全く歯が立たない。でも自転車レースの魅力を知るきっかけとなった「ツール ド フランス」に、いつか出てみたい!という気持ちはずっと持っていましたね。

-選手時代でのCATEYE製品に関する思い出や感想などはありますか?

柿沼:選手時代は、とても長い間CATEYE製品を使っていました。スポンサーの事情で他社製品を使ったこともありますけれど、CATEYEの製品はやはり信頼性が圧倒的に高いと思います。
あと製品開発に携わった…というほどではないですが、心拍計とスピードメーターが一体化された「V3」は使用したレポートを送ったりしましたので、すごく思い入れがあってよく憶えています。

-柿沼さんが世界のレースに出られたきっかけはなんだったんでしょうか?

柿沼:いつかヨーロッパのレースで走りたい!という気持ちをずっと抱えていましたが、日本選手が海外のレースに出られることはほとんどなく、チャンスはなかなかありませんでした。
そんな時「日本鋪道」というチームの大門宏監督が、世界で戦える日本人の育成に力を入れていて、海外にコネクションを持っていたので、このチームに入れば海外で走るチャンスがあるのではないかと。思い切って「日本鋪道」に移籍したんです。

-そして実際に海外のレースに出られてみてどうでした?

柿沼:…打ちのめされました(笑)。
1年間イタリアとスイスのレースで走りましたが、自分自身が何年間か努力したくらいでは、そう簡単に超えられない壁があることをまざまざと見せつけられましたね。 あまりいい表現ではありませんが、「これはスポーツじゃない、戦争だ」と本気で思ったくらい。
これからの競技者として自分自身の身の振り方も考えながら日本へ帰ってきたんです。

-海外では壮絶な挫折感を味わわれたんですね…。 そして日本へ戻って来られてからはどのような?

柿沼:それでも引退するという決断ができませんでした。
だからスポーツクラブで働きながら、細々と競技を続けていました。 競技を続けるのか、新しい道へ進むのか、悩んでいた時期です。
1997年「全日本自転車競技選手権大会」の個人タイムトライアルで優勝できたことが、再度競技者として頑張っていこうと決心するきっかけになりました。
そして大阪のプロチーム「キナン」に所属することができたんです。

-諦めず続けられたからこその復活劇ですね! その後の選手生活はどのような感じでしたか?

柿沼:「キナン」ではヨーロッパのレースを走る機会はなかったんですけど、大阪のチームでお世話になった三浦さんという方が、アジアのレースに精通している方で(笑)。今度は台湾のレースに出場することになってしまいました(笑)。
そして、そのころくらいから自分自身が勝つことでなく、若い選手の育成などに自分の存在意義を感じるようになってきましたね。走りながらコーチングするような流れに自然となっていき、現在、弊社で運営をしている「宇都宮ブリッツェン」を結成する縁へと繋がっていきました。

―柿沼章さんインタビュー第二弾へ続く

<プロフィール>
サイクルスポーツマネジメント株式会社 柿沼 章
1972年生まれ、栃木県出身。 プロロード選手として2005年~チームミヤタ、2008年~ブリヂストン・アンカーに所属。1997年、2001年に「全日本自転車競技選手権大会」個人タイムトライアルで優勝する。2008年、栃木県宇都宮を本拠地とする自転車ロードレースのプロチーム「宇都宮ブリッツェン」を仲間と共に立ち上げ。2011年にプロを引退、宇都宮ブリッツェンの監督に就任。チーム設立6年目の2014シーズンでは、国内トップリーグ「Jプロツアー」で年間チーム優勝に輝く。現在は宇都宮ブリッツェンを運営するサイクルスポーツマネジメント株式会社の代表取締役社長としてチームを支える。